皆様はカナダの歴史についてどれくらい知っているでしょうか。カナダに留学や旅行に行くなら、英語学習と並んで知ってもらいたいのがカナダの歴史です。
カナダの歴史や背景を知っているか知らないかでカナダでの生活の楽しさが変わることは間違いないでしょう。また、カナダに旅したり、住んだり、留学や仕事などで長期に渡って滞在する場合でも、ニュースや文化が身近に感じられ、カナダでの生活が深く味わえます。
今回は、カナダの歴史を紹介します。英語でカナダの歴史が語ることができればいいですね。
カナダの起源は17世紀初めにフランス人がセントローレンス川流域に入植したのが始まりです。1763年にイギリス領となり、フランス系住民と先住民がイギリス帝国の支配に組み込まれました。1867年にイギリス連邦制内の自治領となり、1931年に事実上独立国家となりました。
目次
先住民の時代
今から4万~1万年前、地球がまだ氷河期時代に、ベーリング海峡が地続きであったので、モンゴロイドたちがシベリアからアラスカを経由して北米大陸に移動し、現在のインディアンやイヌイットなどの先住民となりました。彼らは森林や氷原で狩猟生活を営んで多数の部族に分かれて生活していたとされています。
先住民の人々がアジア系の顔立ちをしているのはそれが理由です。調査によると、現代のアジア人と北米先住民は、DNAが共通していることが分かっています。
西暦1000年頃、ヨーロッパ北部の漁業民(ヴァイキング)がアイスランド経由でニューファンドランド島に到達しましたが、彼らの居住地は永く続きませんでした。
ヨーロッパ人の「カナダ」発見
16世紀にヨーロッパは「大航海時代」を迎えました。北米に植民地を求めてヨーロッパ人たちが進出することになります。
1497年、イギリス(ヘンリ7世)が派遣したイタリア人のカボットがアジアに到達する西北航路の発見を目ざしましたが、その途中に現在のニューファンドランドに到達し、ヨーロッパ人としては初めて北米大陸に上陸しました。
この海域は良質なタラ漁場だったので、カナダはヨーロッパ人からの注目を集めます。イギリス、フランス、ポルトガル、スペインなどの漁業を営む人々が多くやってきました。しかしこの時点ではイギリスはここに植民地をつくろうとしませんでした。イギリスよりもフランスの方が永続的な植民地建設は積極的でした。
フランスの進出
1534年、フランスのフランソワ1世がジャック・カルティエを北米に派遣させ、セントローレンス川流域を探検し、モントリオールまで進出しました。
カルティエはこの地をカナダと名付け、フランスは1534年にこの地をフランス領とすると宣言し、1603年アンリ4世の時に植民地を成立させた。
カルティエが「村」の意味で「カナタ」と言った言葉を、地名だと思って使いはじめたのが、カナダの由来とされています。
その後、1608年には、サミュエル・ド・シャンプランがセントローレンス川中流域にケベックを中心に植民地を建設します。この地はヌーベルフランス(新フランス)と呼ばれ、毛皮帝国として発展していきました。
それは、当時フランスではフェルト帽が流行しており、その材料となるビーバーの毛皮は最高級品とされていました。フランス人はビーバーの毛皮を求めてカナダ内陸へと進出したのです。
現在のケベックシティにあるノートルダム大聖堂や北米最古の商店街プチシャンプランなどは、この時代に作られたものです。
たいての植民地ではヨーロッパ人による先住民排除が行われましたが、フランス人は先住民を排除をせず相互依存の関係を築きあげました。また、カトリック教やフランス文化の普及活動も行われました。先住民女性とも結婚した点でも、イギリス植民地と異なります。
イギリスの進出
17世紀半ばになると、イギリスもビーバーの毛皮の獲得に目を付け、植民地をアメリカ大西洋側から北部へ拡大していきます。
まず、1670年には、イギリスがハドソン湾地域の毛皮取引を独占するため、ハドソンベイ会社を設立し、ハドソン湾から広域な河川領域をイギリス領土とします。
フランスとイギリスの戦争
北米の植民地を巡っては、イギリスとフランスの争いが激しくなっていきます。
スペイン継承戦争後の1713年のユトレヒト条約ではニューフアンドランド、アカディア、ハドソン湾地方をイギリスに割譲し、フランス領はケベックを中心としたセントローレンス川流域から、五大湖地方、ミシシッピ流域のルイジアナに及ぶ地域となりました。
さらに七年戦争(1756~63年)と並行して1754年フレンチ・インディアン戦争が勃発し、優勢に戦ったイギリス軍がフランスの拠点であるケベックを占領、1763年のパリ条約でフランスはカナダ側の大部分を放棄します。これによりイギリス領のカナダ植民地が成立します。
イギリス領カナダ植民地の成立
イギリス植民地議会は1774年にケベック法を作り、ケベックのフランス系住民(約65000人)に、フランス語の使用、カトリック信仰、フランス民法を認めました。
翌1775年にアメリカ独立戦争が勃発すると、ロイヤリスト(王党派、独立に反対派)がイギリス領カナダに大量に移住してきました。アメリカ合衆国の独立勢力はカナダに加わるよう働きかけましたが、失敗に終わり、カナダはイギリス植民地として残ります。1793年には、マッケンジーがロッキー山脈を越えて大陸横断に成功したので、植民地は太平洋岸に広がりました。
カナダ連邦の成立
イギリス植民地カナダは1867年、イギリス領では最初に自治が認められ、カナダ連邦となりました。1931年にはイギリス連邦の中から独立しました。
カナダの自治の開始
イギリス植民地としてのカナダは、南北戦争時、イギリス議会が北アメリカ法を制定し1867年7月1日に「自治領」になりました。
これはイギリスでの海外領土で最初に承認された自治領です。カナダはこれによってイギリス帝国の下で自治権を有する一つの「カナダ連邦」という連邦国家となり、オタワに連邦首都が置かれました。
当時外交権は与えられず、独立国家とはいえませんでしたが、自治が認められたこの年7月1日が現在のカナダでは独立記念日「カナダ・デー」となっています。1885年カナダ太平洋鉄道が完成、大西洋岸と太平洋岸がつながりました。
イギリスの自治領とは、国家元首にイギリス国王を戴き、国防・通貨、外交・などは本国の統治を受けますが、その他は独自の議会と政府を有して自治を行うことができる国家形態です。イギリスは多くの植民地を所有していましたが、白人が優位に立っているカナダにこのような自治権を最初に与えました。ついで1901年にオーストラリア連邦、1907年にニュージーランド、1910年に南アフリカ連邦を自治領としました。
イギリス連邦の成立とカナダ
第一次世界大戦(1914-1919年)にカナダはイギリス帝国に加わって参戦。それが認められて、戦後の1926年にイギリスはカナダに外交権を与えました。そして、1931年のウェストミンスター憲章でイギリス連邦が成立するとその一員となり、イギリスと対等な主権を持ち、実質的な独立を達成しました。
第二次世界大戦と戦後のカナダ
第二次世界大戦にイギリス連邦に加わって参戦したあと、戦後は西側陣営の一員としてNATOに加盟します。1982年に憲法を制定し真の独立をはたしました。しかしながら、二言語主義、多文化主義の問題も抱えています。
第二次世界大戦でカナダはイギリス連邦の一員として直ちに連合国に加わって参戦し、ヨーロッパ戦線に派兵、ノルマンディー作戦にも参加しました。
戦後のカナダは連合国の一員だったので国連には最初から加盟しました。米ソの冷戦が決定的になると、カナダは北極海をはさんでソ連と向かいあう最も直接的にソ連の脅威を受ける位置にあったので、1949年に北大西洋条約機構(NATO)が結成されると、その当初から加盟し、西側軍事同盟の一員となります。また朝鮮戦争にも出兵し、アメリカ合衆国との連携を強めていきました。
カナダの真の独立
カナダは1931年のウェストミンスター憲章でイギリスと対等な主権国家となり、実質的に独立していましたが、形式としてはまだイギリス連邦の一員で、依然としてイギリス国王を君主として尊び、首相とは別に総督(イギリス国王の代理)が存在していました。
第二次世界大戦が終わった後のカナダは、植民地意識がなくなり、国民意識が高まってきました。
1965年には現在のカナダ国旗を定め、1967年に国歌も作られ(1980年から実際の採用)、現在のカナダ国家が形成されました。
ちなみに、今までの国旗には、イギリス連邦の一員であることを表すユニオンジャックが含まれていましたが、新しい国旗はメープルリーフのみです。これはフランス系カナダ人への配慮もありますが、イギリスとフランスから独立した国家であることを意味します。
オンタリオ州を始め、もともとイギリス系住民が多く住んでいた州では、現在でも州旗にユニオンジャックが使用されています。一方、ケベック州の州旗はフランス王家との関係を意味するフルール・ド・リス(百合の花)が。いつか、州旗からもユニオンジャックや百合の花が消える日が来るのかもしれません。
さらに1982年には、カナダ法が成立、憲法改正権もイギリスからカナダに移りました。
これは、カナダが完全にイギリス、フランスから独立国家となったことを意味します。建国して150年以上経つカナダですが、正式にイギリスからの独立したことを考えると、ほんの40年ほどしか経過していません。
まとめ
・先住民の時代
今から4万~1万年前、地球が氷河期時代だったころに、地続きだったベーリング海峡から、モンゴロイドがシベリアからアラスカを経て北米大陸に移動してきました。
・ヨーロッパ人の「カナダ」発見
フランスが進出しそのあとイギリスが進出。数々の戦争を経てイギリス領カナダ植民地が成立しました。
・カナダ連邦の成立
カナダの自治が開始されました。
・第二次世界大戦と戦後のカナダ
1965年には現在のカナダ国旗を定め、1967年に国歌も作られ、現在のカナダ国家が形成されました。
以上、カナダの歴史について説明してきました。
歴史を紐解くと、カナダがフランス、イギリス、アメリカという大国に影響を受けながら国家を形成してきたかが分かります。また、そんな中、アメリカ人でもなければ、イギリス人でもフランス人でもない、カナダ人としてのアイデンティティを探してきました。
カナダにフランス語圏があるのも、州旗にはイギリスのユニオンジャックやフランスのユリの花が掲げられているのも、このような歴史的背景があるのです。
英語を学んで、これからカナダに旅行に行かれる方や、留学や赴任で滞在される方も、カナダで生活されている方も、歴史を知ることで、より楽しく、より深い理解でカナダでの生活を楽しみましょう。